心のビタミンバックナンバー

bT1〜bU0


No.51 頑固なくらいに


 あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。
ルツ 1・16


 韓国の教会を訪問した時、韓国のサラリーマンの多くが出勤前に教会に寄って祈り、一日の働きを終え家に帰る前にも、教会に立ち寄って祈りをささげると聞きました。
 それを聞いた私たちの教会の一人の信徒は、さっそくそれにならって、出勤前の忙しい時間に、わざわざ会堂に行って祈り、どんなに遅くなっても帰宅前に教会に寄って祈りをささげるようになりました。
 その実践によって、職場においてどんなに大きな神の臨在と恵みとを体験するようになったかは、だれよりも本人が実感し、証ししているところです。
 ところで、この「わざわざ寄って」 というところが大切です。自宅でも祈れる、職場で祈っても会堂で祈っても同じこと、と割り切ってしまわない。
 早天祈祷会についてもいえると思いますが、頑固なくらいに、自分の信仰の型を神の御前で通すことも必要なのです。


No.52 川崎病


 愛する者たち。あなたがたを試みるためにあなたがたの間に燃えさかる火の試練を、何か思いがけないことが起こったかのように驚き怪しむことなく、むしろキリストの苦しみにあずかれるのですから、喜んでいなさい。
 I ペテロ 4・12,13


 次女が一歳半の時、川崎病になったことは話しました。てっきり公害病か何かで、自分たちとは無縁と決め込んでいたその病の宣告は、忙しい連日のクリスマス集会を乗り切った直後にもたらされました。
 突然の高熱、下痢、嘔吐、全身の発疹。やがて目が充血し、手足は水ぶくれのような症状、さらに舌にいちごの表面のようなぶつぶつができ、血がにじみ出てきました。
 わけもわからないまま病院に飛び込むと、病名の宣告とともに、「すでに肝臓に機能障害が出ています」 との説明です。
 不安な年の瀬を家族バラバラで過ごすことになりました。
 私たちは厳しい試練に立て続けに襲われることもあります。しかし、それも主の御手にあることとして、受け止めなければならないのです。



No.53  バイバイ


 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください」。
 マタイ 26.39


 重い川崎病の宣告を受けた次女は、一歳半なりに精一杯がんばって病と闘ったと思います。
 二、三週間にわたる四十度近い高熱、切れた唇からの出血によく耐えました。
 治療や点滴をほどこすお医者さん、看護婦さんが自分を傷つけ苦しめるものと映ったようです。白衣姿を見ると、唯一覚えた「バイバイ、 バイバイ」 ということばで恐怖と拒絶を表しました。
 それにもまして、そんな自分をいっこうに助けようともせず、遠く離れて立っている親の心が理解できずに苦しんだでしょう。
 十字架でひとり苦しまれ、父なる神にも見捨てられたキリスト。そんなひとり子を、おそらくは胸締めつけられる思いで見つめておられた父なる神。十字架の重みがひとしお身に染みます。



No.54 痛みを分け合う


 だれかが弱くて、私が弱くない、ということがあるでしょうか。だれかがつまずいていて、私の心が激しく痛まないでおられましょうか。
        IIコリント 11・29


 次女の罹病と同時に、長女は実家に預けられ、家内は遠くの病院にと、家族がバラバラの生活になりました。
 次女が入院して次の礼拝、すなわち一月一日の元旦礼拝の日、私は説教の途中で苦しむ子どもの姿が浮かんできて、涙がこみ上げ、語れなくなりました。
 その日のメッセージは、「見よ。わたしは新しい事をする」 というみことばから希望に満ちたものになるはずでしたが、自分自身、とてもそのような心境ではなかったのです。
 説教が中断されている間、教会員の方々が私と私の家族のために祈ってくださいました。その祈りに支えられ、私は気を取り直し、再びメッセージを続け、何とか最後まで語ることができたのでした。
 痛みを分け合い、支え合う兄弟姉妹あっての自分なのだと、改めて思い知らされたことでした。



No.55 涙の谷を過ぎるとも


 涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。
     詩篇 126・5

 娘が川崎病になった頃、教会はビジョンを掲げて新たなる目標に向かって前進する、節目の年を迎えていました。私の心の中に「なぜ?」 という疑問がわき始めていました。なぜ、新しく前進しようとしてる矢先に、出鼻をくじくこのような出来事が起こったのだろうか。なぜ、このことを主はゆるされたのだろうか。
 苦しい船出となりました。涙から出発しなければなりませんでした。けれども今にして思えば、それは初めから主の深い摂理のうちにあったのです。
 子どもはおもちゃ売り場で、レールを走る電車の前に立ち止まります。子どもの視野には全体が見えないので、いつ急に目の前に電車が現れるのかと待ち構えています。しかし、親の視野には電車のコースが見通され、初めから、山あり谷ありトンネルありとわかっているのです。その時は突然でしたが、初めから、私たちには涙の谷が用意されていたのだと思います。



No.56 感謝から出発


 彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず・・・・・。
       ローマ 1・21

 健康のありがたみは、失ってみて初めてわかるものです。
 娘が病に倒れて、初めて、家族が共に暮らせることの幸い、皆が健康であることの恵みをかみしめました。
 いったいどうして私たち人間は、がんの宣告を受けては神をのろい、天災を見てはその責任を神に問おうとするのでしょうか。がんにかかる前、どれほど健康に対する感謝を神にささげていたでしょう。天災のニュースを聞かない、はるかに多くの平穏な日々に、それを神の恵みとして感謝する人々がどれほどいるでしょう。
 健康を失って神をのろうのではなく、まず健康な時に十分神に感謝しましょう。天災に遭って突然神を持ち出すのでなく、穏やかな日々に、それを神の恵みとして十分神に感謝しましょう。感謝から出発するなら、突然の試練に遭遇した時にも、必ず違った反応が生まれてきます。



No.57 忍耐を通して


 あなたがたが神のみこころを行なって、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です。
        ヘブル 10・36


 私は神学校を卒業して二十五歳の時に、福島第一聖書バプテスト教会に就任しました。ここで学ばされたことは、「忍耐」 の一言に尽きます。特に最初の五年間は、ひたすらに忍耐しました。五十年近い教会の歴史があり、大部分の方が私より年上で信仰歴も長く、社会経験も豊富です。その中で初めての牧会にあたるとなれば、忍耐よりほかに手はないと思われました。
 どんな働きにせよ、忍耐をベースにして初めて信頼を得て、自分のスタイルを見つけ、やがては現状を改革していく可能性が開けるのではないかと思います。多くの場合、すでに成果が現れた後には、忍耐の影が薄れて、特別な方法でその位置に登り詰めたように錯覚しがちです。
 しかし主は、容易なルートではなく、忍耐という道を通して私たちを祝福されるのではないでしょうか。


No.58 初心を忘れずに


 生まれたばかりの乳飲み子のように・・・・・。
        Iペテロ2・2


 牧師となって初めての礼拝の前日、昔ながらの古い礼拝堂で、翌日のために「祝祷」 の練習をしたことを思い出します。
 「明日の礼拝から、祝祷も聖餐式も、またバプテスマ式、結婚式、葬式、すべてを正式な牧師としてお願いします」 と申し渡されて、にわかに緊張していました。祝祷と言われても、神学生の頃から見て知ってはいましたが、実際に自分が行う心構えがあったわけではないのです。すぐ、隣県の先輩牧師に電話をし、祝祷のことば、両手を上げる角度、心構えなどについて教えを請い、前日の土曜日の夜中に、ひとり手を出し、手を上げて、何度も何度も練習したのでした。明日の本番で、度忘れしないといいが・・・・・と思いつつ。
 あらゆることが新鮮で、緊張して、身を正して臨んでいたあの頃。肩に力が入り過ぎていたかもしれません。けれども、いつも初心を忘れずに主の御前で新鮮でありたいと思うのです。



No.59 下積みの生活


 ダビデはそこを去って、アドラムのほら穴に避難した。
  I サムエル22・1


 ダビデには長い下積みの期間がありました。羊飼いだった少年の頃、すでに預言者サムエルによって油注ぎの儀式を受け、将来はイスラエルの王となることが告げられていたにもかかわらず、その後の彼の道程は厳しいものでした。
 ねたみのために、いつサウル王に殺害されてもおかしくないような苦境の連続の日々が待ち受けていたのです。巨人ゴリヤテを倒して脚光を浴びたのもつかの間、その後、長い間日の当たらないトンネルのような生活を送ることになります。
 しかし、この期間がダビデを育てました。王になるどころか暗殺されかねない状況下で、彼は自ら道を切り開くのではなく、神の時を信じて、神の約束の成就を待ち望みました。それゆえ、すべてを主にゆだねる生き方を身につけていったのです。このことは、教えられて身につくものではありません。下積みの生活にじっと身を置くことによってのみ、体得できるのだと思います。



No.60 荒野


 サウルがペリシテ人討伐から帰って来たとき、ダビデが今、エン・ゲディの荒野にいるということが知らされた。
 I サムエル24・1


 以前イスラエルに行った時、ユダヤ教からキリスト教に改宗し、今は聖書の地理や考古学を研究しているという一人のユダヤ人が説明してくれました。
 「ここはかつてダビデがサウル王から逃れて、隠れたと思われる荒野です。『荒野』 というヘブル語は、『ことば』 からきたと思われます」
 水もなく、動物も植物も生きられない苛酷な状況の荒野。けれども、この極限の状態でダビデは、神にのみ信頼すべきことを、特に神の「みことば」 にのみ信頼を置いて生きるべきことを学んでいったのではないか、とのことでした。
 人に頼らず、神にのみ拠りすがり、そのおことばがかならず成就することを信じて疑わず、ひたすらに待つ。
 この得がたい信仰の学課を習得するのに、荒野はダビデにとって最善の場所だったのでしょう。あなたにとっての荒野とは何でしょうか。